なにげないところからものすごい長距離が出る事を、タクシードライバー
 は『おばけ』と呼ぶ。
  単に長距離の事をさす人もいるけれど、やっぱり細い路地から乗ってきた
 お客さんが大阪までだったりする方がイメージ的にはぴったりくる。

  僕が勤める営業所には、大阪まで二回走った先輩がいる。
  どちらも、無線で呼ばれた訳じゃなく、普通の道で拾ったお客さんだった
 のだそうだ。
 「そりゃあ、うれしかったけどねえ。疲れたよ。オレ、歳だからさ、しばら
 くは疲れがとれなかったよ。あの疲れを考えると、いい仕事なのかどうだか、
 わかんないなあ……」
  先輩はそう言って、白髪頭を掻いた。

  残念ながら、僕はまだ『おばけ』を乗せた経験はないけど、先日、『おば
 け』になった事のあるお客さんを駒沢駅から乗せた。

  タクシーが大好きなおばちゃんで、日に最低4回は乗るのだそうだ。
 「急に青森に行かなくちゃならなくなってねえ」
  おばちゃんは、東北訛りだった。
 「青森ですか?」
 「うん。夜中だったからねえ。無線使おうか、とも思ったんだけど、試しに
 外に出てみたら、ちょうどタクシーが走ってきてね」
 「それに乗ったんですね」
 「うん」
 「運転手さん、びっくりしたでしょう?」
 「そうだねえ」
 「それからすぐに?」
 「いや、運転手さんが会社に連絡したらね、ふたりで行けって。つまり運転手
 さんふたりだよ。往復してもらったからね、36万だったよ」
 「えー! 36万ですか?」
 「うん。運転手さんには、ひとりに2万チップあげたよ」
 「合計40万ですか? わあー!」
  不景気というけれど、すごい人はいるものなのだ。

  と、『おばけ』は運転手にとって、最高のお客さんなのだけど、本当の『お
 ばけ』を乗せた運転手もいる。
  まあ、その話しはいつか、夏にでも……。